2018年12月09日
「七人の猟師」の言い伝え③―柴の「七人塚之標」

熊老人クラブ高砂会連合会が編集した「熊の里物語」の中に、「七人塚」という話があります。
柴の一番東にシッペノという三軒家がある。今は一軒転出して二軒になっているが、昔はここに東屋という宿屋と吉野家という宿屋があった。いつの頃か、ある人がシッペイ太郎と呼ぶ犬を信州から連れて来て、ここへ一泊したと云う伝説がある。それ以来シッペノと言う字(あざ)名がついたとの事である。年代は不明だが、昔、東屋という宿屋に七人のヤクザ風の人が泊まっていた所へ、後から追い掛けて来た男が、ここで出合い、七人の男を呼出して、果し合いをし、遂に七人の男を切り捨てたと云う話もある。昔は前を石積みにして、その上に石塔を建て祀っていたが、大正七年頃、今の地主である高橋幸平さんが、みかげ石で「七人塚の塔」と刻み、石碑を建てて、今日に至っている。
柴は北遠一の高所集落と言われているところ。南沢ではなく石打に近い場所の少し高いところに、「七人塚之標」と刻んだ石柱が立っています。「大正十二年八月 高橋藤吉建之」とあり、「熊の里物語」の記述とはやや違うところもあります。
「七人のヤクザ」と、柴では「七人狩人」と呼んでいる南沢の「七人猟師」との関連ははっきりとは分かりませんが、地理的な近さとその類似性から考えて、何らかの繋がりがあったと思うのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか?