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2018年02月10日

宮口・庚申寺を訪ねる③―「二十四孝図」と「紫宸殿の鵺退治」

板地著色二十四孝図板地著色二十四孝図(二十四孝図絵馬)
いたじちゃくしょくにじゅうしこうず (浜北市浜北区宮口 庚申寺)
昭和57年5月22日 市指定有形文化財(絵画)

この絵馬は、上部がゆるい入山型に作られています。高さ154.5cm、幅179.1cmあります。絵画面は薄く胡粉を引いた上に、二十四孝の図柄を細部まで丁寧に描写しています。胡粉と墨で調子をまとめ、各々のモチーフに彩色を施しています。その描写力や顔料の使い方から、奈良絵の技巧が使われています。構図は、御伽草子の挿絵の構図が参考にされており、描かれている順番も大舜に始まり、陸績に終わるという、御伽草子に書かれている順番と同じです。二十四孝図絵馬は、寄進文をみると、元禄6年(1693)に遠州豊田之郡赤佐庄尾野村の人々が、雨乞いのために奉納したものいうことが分かります。元禄6年は、現在、残っている各村々の江戸時代の年貢免状をみると、米の収穫量が少ない凶作の年であったようです。これは、降雨が少なく旱魃状態であったためと考えられ、雨乞いのため、庚申寺へ奉納されたと思われます。庚申寺には、今も請雨閣の額があり、かつて雨乞いが行われていたことが分かります。本絵馬の題材となっている二十四孝図とは、中国の孝行者の話であり、南北朝時代に日本に伝えられ、室町時代に御伽草子の「二十四孝」として刊行され、全国に流布しました。(浜松市公式HPより)


紫宸殿の鵺退治 庚申堂「請雨閣」扁額の向かって左側にあるのが「二十四孝」図の絵馬。そして、右には「紫宸殿の鵺退治」の絵額が奉納されています。「紫宸殿の鵺退治」の奉納は「文化十一甲戌年」とありますので、西暦1814年で「庚申年」ではありません。



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Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:48│Comments(0)歴史・産業遺産・寺社・文化財
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