2017年08月21日
国鉄佐久間線の遺構を訪ねて⑰―谷山トンネル北口
未成線に終わった佐久間線の工事は昭和42年(1967)から始まり、同54年(1979)に中止されたと聞いていました。ところが・・・
佐久間線の最北のトンネル谷山(ややま)トンネルの北口を訪ねてみました。そこは、国道152号横山橋のすぐ南の道路より1段高くなったところ。南から北へと向っていると見えませんが、北から南へ向っている時にちょっと視線を上に向ければ気づくはず。
坑口には、見慣れた柵で塞がれていましたが、中には電気が引き込まれているようです。トンネルの壁面には、竣工年と思われる数字が刻まれています。その数字は「1980」。トンネル外のコンクリート壁の数字も「1980-7」。これは、1980年まで工事が続けられていた、ということではないのでしょうか?
トンネルの延長は、橋梁を架けて天竜川を渡る予定だったようですが、どうやら、この辺が佐久間線工事の北限。それを示すように少し高い位置に、国鉄の所有地であることを示す、「工」の字が刻まれた「引照標」が立っていました。
不可解な歴史を伝える谷山トンネルが、佐久間線の北限の遺構となります。
佐久間線の最北のトンネル谷山(ややま)トンネルの北口を訪ねてみました。そこは、国道152号横山橋のすぐ南の道路より1段高くなったところ。南から北へと向っていると見えませんが、北から南へ向っている時にちょっと視線を上に向ければ気づくはず。
坑口には、見慣れた柵で塞がれていましたが、中には電気が引き込まれているようです。トンネルの壁面には、竣工年と思われる数字が刻まれています。その数字は「1980」。トンネル外のコンクリート壁の数字も「1980-7」。これは、1980年まで工事が続けられていた、ということではないのでしょうか?
トンネルの延長は、橋梁を架けて天竜川を渡る予定だったようですが、どうやら、この辺が佐久間線工事の北限。それを示すように少し高い位置に、国鉄の所有地であることを示す、「工」の字が刻まれた「引照標」が立っていました。
不可解な歴史を伝える谷山トンネルが、佐久間線の北限の遺構となります。