2017年08月15日
国鉄佐久間線の遺構を訪ねて⑪―大池函渠
旧国鉄二俣線「遠江二俣」駅(現:天竜浜名湖鉄道の「天竜二俣」駅)と、飯田線「中部天竜」駅、あるいは「佐久間」駅の間を結ぶ計画だった佐久間線の工事は昭和42年(1967)から始まり、12年後には中止されましたが、線路を敷くはずだった築堤はまだかなり残っています。
線路が敷かれ列車が走っていたはずの築堤はあちこちで取り崩しが始まっていますが、旧船明(ふなぎら)小学校跡の東に残る築堤やその先の船明隧道はまだ残っています。
大池函渠(かんきょ)に嵌めこまれた金属プレートには「大池函きよ 着手 昭和44年11月11日 しゆん功 昭和45年1月6日」と記されていましたので、大池函渠は佐久間線工事開始の3年後、昭和45年(1970)に完成していました。
この「大池函渠」の辺りに「船明駅」ができる予定だったとのこと。もしも開通していたら、山里の暮らしは一変していたことでしょう。
線路が敷かれ列車が走っていたはずの築堤はあちこちで取り崩しが始まっていますが、旧船明(ふなぎら)小学校跡の東に残る築堤やその先の船明隧道はまだ残っています。
大池函渠(かんきょ)に嵌めこまれた金属プレートには「大池函きよ 着手 昭和44年11月11日 しゆん功 昭和45年1月6日」と記されていましたので、大池函渠は佐久間線工事開始の3年後、昭和45年(1970)に完成していました。
この「大池函渠」の辺りに「船明駅」ができる予定だったとのこと。もしも開通していたら、山里の暮らしは一変していたことでしょう。