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2017年08月14日

国鉄佐久間線の遺構を訪ねて⑩―蛭田架道橋

蛭田架道橋 佐久間線と光明小学校のすぐ横を通る道が交差するのが蛭田架道橋。現在も残る金属銘板によれば・・・

 設  計 日本鉄道建設公団名古屋支社
 施  行 住友建設株式会社
 設計荷重 KS-14
 基 礎 工 基礎ぐり石工
 基礎根入 天端から 7M59
 着  手 昭和46年8月10日
 しゆん功 昭和47年3月16日

蛭田架道橋の金属プレート 佐久間線の設計は、もちろん「日本鉄道建設公団=鉄建公団」。施行には、池崎工業、北都組や五洋建設のほか、老舗の財閥系、住友建設も携わりました。

 阿蔵の玖延寺南の白山隧道の完成は昭和44年(1969)3月。そして、蛭田架道橋の完成は昭和47年(1972)3月。丸3年を経過して、佐久間線の工事はここまで進みました。



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