2017年08月07日
国鉄佐久間線の遺構を訪ねて③―白山隧道北坑口
「佐久間線」遺構探しは、阿蔵の築堤を南下、「白山隧道」北坑口を目指しました。玖延寺の第二駐車場脇の土手を登るまでもなく、もうトンネルの出口が見えています。では、失礼して築堤を登り・・・。
遠目からトンネルを眺めると、写真のような感じ。坑口には立ち入り禁止の金網が張られています。何か、情報につながりそうなものはないかな?さらに近づいてみると・・・。
トンネル外のコンクリート壁に「1974-3」の数字が、意味ありげに彫り込まれていました。「彫る」と言うよりも型押ししたような文字ですが、この数字が意味するものは何でしょう?すぐに思い浮かぶのは「1974年3月」の意味。このトンネルのコンクリート壁の竣工は昭和49年3月です。
「佐久間線」工事は、昭和42年(1967)に着工され、同55年(1980)に中止。この路線が開通していたとしたら、北遠は今よりもずっと活気のある地域となっていたのではないでしょうか。
遠目からトンネルを眺めると、写真のような感じ。坑口には立ち入り禁止の金網が張られています。何か、情報につながりそうなものはないかな?さらに近づいてみると・・・。
トンネル外のコンクリート壁に「1974-3」の数字が、意味ありげに彫り込まれていました。「彫る」と言うよりも型押ししたような文字ですが、この数字が意味するものは何でしょう?すぐに思い浮かぶのは「1974年3月」の意味。このトンネルのコンクリート壁の竣工は昭和49年3月です。
「佐久間線」工事は、昭和42年(1967)に着工され、同55年(1980)に中止。この路線が開通していたとしたら、北遠は今よりもずっと活気のある地域となっていたのではないでしょうか。