2017年07月22日
三岳城跡を訪ねる②―三岳城跡の看板に書かれた「南朝方年号」
南北朝時代、南朝の後醍醐天皇は皇子たちを各地の有力者のもとに派遣して味方を募りました。延元2年(1337)、この地の井伊氏を頼ったのが宗良(むねなが)親王です。井伊氏は親王とともに南朝方について、北朝方と戦いましたが、興国元年(1340)に落城しました。(「国指定史跡 三岳城跡」)
気になるのは、解説文の最後に書かれた「*延元・興国は、南朝方の年号です。」の表記。
確かに、「延元」「興国」などの元号(年号)は、南朝方で使われたもので、北朝方では「延元2年」は「建武4年」、「興国元年」は「暦応3年」に当たります。
わざわざ断っているところが、この看板のポイント。もう1枚の「井の国 引佐町散策」の横には「⇐史跡 三岳城跡 これより500m」とありましたので、矢印の方向に向かって歩き始めました。