2017年07月04日
「湖北五山」摩訶耶寺を訪ねる①―高麗門
「湖北五山」とは、奥浜名湖地域にある国指定重要文化財を有する5つの寺院、奥山方広寺、龍潭寺、初山宝林寺、大福寺と摩訶耶寺(まかやじ)の総称です。
摩訶耶寺は、神亀3年(726)行基によって新達寺として富幕山に開創され、平安時代に千頭ヶ峯の観音岩と呼ばれる場所に移り名を真萱寺へと変え、やがてマカヤ寺と呼ばれるようになり、平安時代末期に一条天皇の勅願により今の場所へと移座したとのこと。
山門は本柱の上に切妻屋根、門をくぐれば控え柱の上にも別の小屋根が載せられ、開いた扉が納められるように設計されています。
元々は朝鮮半島の築城法を模したとして「高麗門(こうらいもん)」と呼ばれ(異論もあるようです)、徳川家康が浜名湖畔に船入できる水城として天正11年(1583)に築城された野地城の城門として造られましたが、延宝8年(1680)に廃城となり、領主であった近藤用高の手配により摩訶耶寺へ築され、山門として使われるようになったとのことです。
摩訶耶寺は、神亀3年(726)行基によって新達寺として富幕山に開創され、平安時代に千頭ヶ峯の観音岩と呼ばれる場所に移り名を真萱寺へと変え、やがてマカヤ寺と呼ばれるようになり、平安時代末期に一条天皇の勅願により今の場所へと移座したとのこと。
山門は本柱の上に切妻屋根、門をくぐれば控え柱の上にも別の小屋根が載せられ、開いた扉が納められるように設計されています。
元々は朝鮮半島の築城法を模したとして「高麗門(こうらいもん)」と呼ばれ(異論もあるようです)、徳川家康が浜名湖畔に船入できる水城として天正11年(1583)に築城された野地城の城門として造られましたが、延宝8年(1680)に廃城となり、領主であった近藤用高の手配により摩訶耶寺へ築され、山門として使われるようになったとのことです。