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2017年04月24日

「水窪民俗資料館」で見る養蚕の歴史③―上簇

上簇 蚕( 蠶)は生き物です。

 もともとは「天蚕(テンサン)」と呼ばれる野生の蛾を家畜化したもので、野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物として言われ、人間による管理なしでは生育することができません。幼虫は人間が与える桑の葉を食べ、成虫になっても飛ぶことができず、人が手を貸してやらないと満足に繭すら作れません。

 孵化→第一脱皮→第二脱皮→第三脱皮→第四脱皮→上簇(じょうぞく)→結繭→蛹化と成長し、孵化から結繭までの日数は、32~35日間。飼育温度は70°F(華氏)。「70°F」は「21.1℃」。温度と湿度を管理し、眠中は薄暗くし、食桑の時には、明るくします。

 「籠ろじ」

 蚕を飼うときの一種の籠である。細い竹で、このように編んでふちまわりに藁を入れて扱いやすいように作ってある。蚕を飼うときには、これが何枚も必要であった。

 「ニ眠用あみ」

 蚕が二回目の脱皮をして体が大きくなるときに、この網を蚕座の上にかぶせると、網の上にはい上がって新しい籠ろじの上で、また桑を食べ成長して三眠の期を迎えるのである。

「まぶし」で結繭 「三眠用あみ」

 蚕が三回目の脱皮をして体が大きくなっていくが、その時に蚕座の上にこのあみをかぶせて、蚕をあみの上に上がらせ新しい籠ろじの上で又桑を食べ成長するのである。

「まぶし」別名「せんばいやま」

 蚕が桑を食べて一人前になると繭をつくるようになる。蚕が繭をつくるときは糸をはき出して俵形の繭をつくるが、このまぶしに蚕を入れることを宿づけといった。

 これらは、『水窪民俗資料館』の養蚕コーナーの解説を抜粋したものです。生育の段階に合わせて管理するからこそ、ただ「飼う」のではなくて「養う」と呼ばれたのでしょう。人間は1階に暮らし、蚕棚は半2階に。「カイコ」などと呼び捨てにするのではなく、「おカイコ様」と様付けで呼ばれたくらいですから・・・。



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