細江町の万葉歌碑を訪ねる④―吾跡川楊
次に訪れたのは、引佐細江へと注ぐ葭本川の支流が流れる跡川地区。川の畔には「吾跡川楊之古跡」の石柱が建てられています。石柱の側面に文字が刻まれ、「旋頭歌」の字が読めますが、石柱の横にあるのが万葉歌碑。刻まれている歌は、もちろん・・・
万葉集巻七 一二九三 旋頭歌
丸雪降 遠江
吾跡川楊 雖苅
亦生云 余跡川楊
霰(あられ)降り遠江(とほつあふみ)の
吾跡川楊(あとがわやなぎ) 刈れども
またも生ふとふ
吾跡川楊
「旋頭歌」とは、五七五七七ではなく五七七五七七で詠まれた歌のこと。柿本人麻呂作とのことで、忘れよう、諦めようとしても、忘れることもあきらめることもできない恋心を詠んだ歌のようです。
「吾跡川楊之古跡」の石柱の下には「是ヨリ南 壱町拾五間」とも刻まれ、跡川の畔では今も楊(柳)が、長く枝垂れた枝を秋風に揺らしていました。
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