2023年09月20日
家康ゆかりの岡崎を歩く⑰―籠田総門角常夜燈
籠田総門角常夜燈由来記
天正十八年(一五九〇年)徳川家康の関東移封により、田中政が岡崎城主となり総堀を築き城下町としての整備をはかる。慶長六年(一六〇一年)伝馬の制定により東海道の往来も激しく次第に殷賑をきわめるようになり寛文十年(一六七〇年)籠田総門が設けられる。時は徳川泰平の世に移り町並はさらに整備され町内旅人のため要所に常夜燈が建立された。
この常夜燈は寛政十年(一七九八年)岡崎城下三番目のものとして石工、七左衛門作により籠田総門付近に建立され町内と旅人往来安全の灯として、市井の人々に愛され温かく守護され続けてきたものである。
大正時代に旧市役所(現電報電話局)北側に移転し幸いにも昭和二十年七月二十日未明の岡崎空襲の災禍を免れ、昭和二十五年戦災復興事業により整備された篭田公園の一角に再移転、さらに昭和五十六年四月籠田公園地下駐車場の新設により装いも新たにこの地に再建された。城下町交通の遺物として茲に後世のためその経緯を記すものである。
昭和五十六年十一月吉日
籠田町有志一同
秋葉山常夜燈には、当番制で夜通し燈を点すことにより、集落の火災を見張る意味があったのですが、街道沿いに建てられた常夜燈は、街灯のようなもの。「籠田総門角常夜燈」には、暗くなってからも東海道を歩く旅人たちに、今いる場所を教え、安心に行先へと誘う役割もあったのです。