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2023年09月15日

家康ゆかりの岡崎を歩く⑫―歴史プロムナード「田中吉政」「人馬継立」

 かつての岡崎宿は東海道第38番目の宿場町。伝馬通りには岡崎宿の歴史を伝える20基の石彫たちが並んでいます。

田中吉政田中吉政
吉政は豊臣秀吉に名前の一字を賜わるなど重用され、当時尾張の領主となった秀吉の甥秀次の付家老として天正十八年(一五九〇)に岡崎に入城し、以降十年間、新しい城下町づくりを行った。関東の徳川家康の西上に備え、新しい城下町全体を堀と土塁で囲み、総曲輪と櫖門を築いて「二十七曲」と呼ばれた屈折の多い道を造った。また矢作川に橋を架け、東海道を城下町に導くことで商工業の発展を計った。寺院・神社の領地没収など厳しい対策もこうじたが、兵・農・商・工を区分し、町や交通の発展を見通した現在の岡崎の基となる都市開発を行った。

人馬継立人馬継立
旅行者は各宿場の人足会所・馬会所で宿場ごとに馬や人足を雇いながら旅行した。東海道では五十三ヶ所の宿駅でこうした継立をしたので「東海道五十三次」と呼ばれたのである。公用旅行者は無料、半額で使用できたが一般旅行者は相対賃金で雇う。四十貫(約百五十キロ)の荷物をつけた馬を本馬、人が乗って二十貫の荷物をつけるものを乗懸、人が乗るだけのものを軽尻といい、人足は五貫の荷物を運ぶのを基本とした。他に長持ちや駕籠もあった。人足の駄賃は本馬の半分程度だったとされる。




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