2021年04月28日
「みんなと俱楽部」まち歩き勉強会④―掛塚橋木橋跡
貴船神社の次に立ち寄ったのは掛塚橋木橋跡。写真は、ブログ「南海丸の航海日誌」に掲載されていたものです。
明治39年(1906)の建設当時は町営の有料橋。バスも渡った橋の途中には数ヶ所のすれ違い場所も造られていました。木橋を建設したのは、掛塚の船大工たち。敷板接合面の水密技術を身に着けていた船大工がいなければ、長さ864メートルの日本一長い木橋は出来ません。
大正14年(1925)には県の管理となって無賃に。昭和30年(1955)に現在の鋼橋・掛塚橋が完成して、木橋は廃止。
橋の掛塚側の道幅が広いのは、木橋へと続くこの道がかつての主要道、横須賀掛塚往還だったからです。
明治39年(1906)の建設当時は町営の有料橋。バスも渡った橋の途中には数ヶ所のすれ違い場所も造られていました。木橋を建設したのは、掛塚の船大工たち。敷板接合面の水密技術を身に着けていた船大工がいなければ、長さ864メートルの日本一長い木橋は出来ません。
大正14年(1925)には県の管理となって無賃に。昭和30年(1955)に現在の鋼橋・掛塚橋が完成して、木橋は廃止。
橋の掛塚側の道幅が広いのは、木橋へと続くこの道がかつての主要道、横須賀掛塚往還だったからです。