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2020年08月05日

懐かしい春野の廃校風景⑭―石切小学校小俣分校

昭和28年頃の「石切小学校小俣分校」  【2014年8月27日】前回、昭和28年(1953)頃の「石切小学校小俣分校」の写真を紹介しました。その写真を使用したいと申し出があった掛川在住の広谷良韶氏から、2014年5月4日に撮影した現在の「石切小学校小俣分校」跡の写真が届きましたので紹介いたします。

現在の「小俣分校」跡 小俣分校があった小俣京丸とは、遠州七不思議「京丸牡丹」で知られる春野町の秘境の地。明治24年(1891)~昭和30年(1955)までは戸数12戸で変わらなかったのですが、同40年(1965)の調査では一気に2戸へと減少し集落が崩壊。廃村への道を辿りました。

現在の「小俣分校」の内部 小俣分校での学習は、ある時期から3年生までとされ、4年生以降は石切小学校へと編入されるという変則的な分校とされましたが、この荒れ果てた校舎で学んだ記憶がある人が、きっとまだどこかにいらっしゃるはずです。

 そして、石切小学校も昭和45年(1970)には廃校となり、今日に至っています。

現在の「小俣分校」跡 その頃、あなたは何歳?どこの地域で生まれて育ち、どこの学校に通っていましたか?そして、懐かしいその学校は今、どうなっていますか?

 人口の減少、学校の廃統合、そして地域の崩壊。決して、他所事ではありません。これは、今、全国で起きている現実なのです。

 *記事は、私が書いていたNPO「天竜川・杣人の会」のブログ「出かけよう!北遠へ ふるさと散歩道」に掲載したもの。同ブログは終了しましたので、過去記事を再掲載させていただきました。

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Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:56│Comments(0)出かけよう!北遠へ学校・子どもたち・廃校
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