2020年08月02日
懐かしい春野の廃校風景⑪―胡桃平小学校
【2009年3月27日】例えば佐久間の「下平(しもったいら)」など、「平(たいら)」にはアイヌ語で「森の低い所」の意味があります。「平」の付く地名は、春野にもたくさん見つかります。「和泉平」「富貴平」「行師平」「越木平」・・・。熊切地区に多いこの「平」地名。どこも、ここも私たちの感覚からすれば、決して「平ら」ではありません。もちろん、「胡桃平」だって・・・。
山道をクネクネと走り、途中、対向車にも山の動物たちにも出会うこともなく「胡桃平」へ。10数軒の集落と茶畑だけの「胡桃平」で、あえて、平らなところを探すとすれば、旧春野町立「胡桃平小学校」跡くらいでしょうか?
校舎は木造2階建て。1階の玄関扉や窓枠はアルミサッシへとリフォームされていますが、2階の窓枠は木製のまま。棟飾り瓦に残る「學」の文字にもあの廃校独特のレトロな雰囲気が残っていて、手入れも十分。現在は「胡桃平自治会館」として使われています。
「静岡県周智郡誌」の資料によれば、大正4年の「胡桃平尋常小学校」の児童数は40。世帯・人口は、大正9年42戸283人、昭和27年34戸214人、同40年33戸162人と減少して来ています。
決して広くはない運動場の片隅には遊具も残り、見下ろすと無人となった「光源寺」の屋根が見えます。この小学校に子どもたちの歓声が響いていた時代は、いつ頃だったのでしょうか?思ってたよりも大きな校舎。すぐ近くの「神明神社」も立派な造りです。
時代が流れ、山里での暮しが困難な時期を迎え、人々は次々と都市部へと下りました。「胡桃平」が活気にあふれていた時代だって、そんなに遠い昔ではないはずです。「胡桃平小学校」は、昭和44年(1969)に廃校となり、「犬居小学校」に統合されました。
山道をクネクネと走り、途中、対向車にも山の動物たちにも出会うこともなく「胡桃平」へ。10数軒の集落と茶畑だけの「胡桃平」で、あえて、平らなところを探すとすれば、旧春野町立「胡桃平小学校」跡くらいでしょうか?
校舎は木造2階建て。1階の玄関扉や窓枠はアルミサッシへとリフォームされていますが、2階の窓枠は木製のまま。棟飾り瓦に残る「學」の文字にもあの廃校独特のレトロな雰囲気が残っていて、手入れも十分。現在は「胡桃平自治会館」として使われています。
「静岡県周智郡誌」の資料によれば、大正4年の「胡桃平尋常小学校」の児童数は40。世帯・人口は、大正9年42戸283人、昭和27年34戸214人、同40年33戸162人と減少して来ています。
決して広くはない運動場の片隅には遊具も残り、見下ろすと無人となった「光源寺」の屋根が見えます。この小学校に子どもたちの歓声が響いていた時代は、いつ頃だったのでしょうか?思ってたよりも大きな校舎。すぐ近くの「神明神社」も立派な造りです。
時代が流れ、山里での暮しが困難な時期を迎え、人々は次々と都市部へと下りました。「胡桃平」が活気にあふれていた時代だって、そんなに遠い昔ではないはずです。「胡桃平小学校」は、昭和44年(1969)に廃校となり、「犬居小学校」に統合されました。
*記事は、私が書いていたNPO「天竜川・杣人の会」のブログ「出かけよう!北遠へ ふるさと散歩道」に掲載したもの。同ブログは終了しましたので、過去記事を再掲載させていただきました。