2019年12月17日
水窪の古い絵葉書「郷土の勇士へ」②―昭和16年の哀しい歌『瑞穂踊り』

『瑞穂踊り』(岡崎淑郎作詞、中山晋平作曲)は戦時中の昭和16年(1941)に農林省により選定された農民歌で、市丸や小唄勝太郎などにより歌われました。和やかに踊りを楽しんでいるように見えますが、『瑞穂踊り』の歌詞とは・・・
1.早苗ナァ ハドッコイセ
早苗取る手も麦踏む足も
揃た揃たよ村中揃た
瑞穂踊りに コリャエ
トコドッコイ ドッコイサノセ
気も揃た コリャエ サテ
サッサ ヤレコノ
トコドッコイセ
2.米はナァ ハドッコイセ
米は御宝 兄さは御楯
旗で埋めたあの日の道も
今じゃ黄金の コリャエ
トコドッコイ ドッコイサノセ
波を打つ コリャエ サテ
サッサ ヤレコノ
トコドッコイセ
3.浜じゃナァ ハドッコイセ
浜じゃ波の子 我が家ゃ孫子
海が育てる御国の宝
踊りゃ魚も コリャエ
トコドッコイ ドッコイサノセ
寄って来る コリャエ サテ
サッサ ヤレコノ
トコドッコイセ
「♪米は御宝 兄さは御楯 旗で埋めたあの日の道も 今じゃ黄金の 波を打つ」の「御楯」とは「天皇を守護する兵士」を指し、身をもって楯になる者の意味。
我が国の男子に国民皆兵が義務付けられたのは、明治22年(1889)。当初は「一家ノ主人タル者」や家産・家業維持の任に当たる者は除かれていたのですが、第二次世界大戦末期には甲種合格者以外の者も含め700万人以上が徴兵され戦地に赴きました。
兵隊の戦没者は約230万人。一般市民の犠牲者を含め約310万人が命を落としたと言われています。「日の丸の小旗を打ち振って村の青年を送った田んぼ道も、実りの秋を迎えた」という歌詞には、青年が帰って来たとは歌われていません。
戦時中の哀しい歌です。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 06:48│Comments(0)
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