2019年12月16日
水窪の古い絵葉書「郷土の勇士へ」①―興亞全町体育大會繪はがき 水窪町十五奉公會
佐口行正さんからお借りした古い絵葉書の中に、「『郷土の勇士へ』興亞全町体育大會繪はがき 水窪町十五奉公會」と題した10枚組のセットがありました。
さて、この絵葉書は、どんな経緯で発行されたものなのでしょう?
体育大会の会場となっているのは、どうやら当時の水窪尋常小学校、昭和16年(1941)からは水窪町立水窪国民学校となった小学校の運動場。「興亞」の「亞=亜」は、ご存じのように「亜細亜(アジア)」の「ア」。「興亜」とは、「アジア諸国の勢いを盛んにするため」と始められた大東亜戦争(第二次世界大戦)のお題目として使用されたキャッチフレーズです。
そして、「銃後奉公會」とは、昭和14年(1939)に厚生・内務・陸軍・海軍の4大臣の訓令によって設立された団体で、全国のすべての市町村に設立されました。その目的はもちろん、兵役義務心の高揚、軍人・傷痍軍人並びに遺家族の援護、労働奉仕。同年8月には、毎月1日には禁酒禁煙・一汁一菜・飲食店休業などが義務づけられた「興亜奉公日」が定められています。
肉彈相搏つ大會の窮「互いに見合って」、角力部出場選手、剣道一般部(高点試合)、銃剣術、寶釣競争(區長さんやら 隣組長さん等 なごやかな風景)、青年部百米豫選と各部落の應援團、大會場正面(係員と觀衆)、ソリ引競争(重量二十貫精魂込めて)、“實りの秋”(女子靑年團員の瑞穂踊り)、慰問袋競争(一品も多く戰地の夫や兄弟へ)。
日中戦争の開戦は昭和12年(1037)7月、我が国と米英とは、昭和16年(1941)12月8日の「真珠湾攻撃」により開戦。この絵葉書は町民運動会の様子を伝える絵葉書ですが、ビックリするほど多くの人々が写っています。
開戦後の物価上昇は山間の水窪にも押し寄せていたのも関わらず、この絵葉書を販売し、軍需供出や寄付金を集める目的だったのかも知れません。もちろん、戦地に赴いていた身内に葉書を出し、近況を伝え、激励をする目的もあったのでしょう。
確かなことは分かりませんが、今からわずか80年ほど前の水窪からは、一体何名の若者が招集され、何名が再び水窪の地を踏めたのでしょうか?
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さて、この絵葉書は、どんな経緯で発行されたものなのでしょう?

そして、「銃後奉公會」とは、昭和14年(1939)に厚生・内務・陸軍・海軍の4大臣の訓令によって設立された団体で、全国のすべての市町村に設立されました。その目的はもちろん、兵役義務心の高揚、軍人・傷痍軍人並びに遺家族の援護、労働奉仕。同年8月には、毎月1日には禁酒禁煙・一汁一菜・飲食店休業などが義務づけられた「興亜奉公日」が定められています。
肉彈相搏つ大會の窮「互いに見合って」、角力部出場選手、剣道一般部(高点試合)、銃剣術、寶釣競争(區長さんやら 隣組長さん等 なごやかな風景)、青年部百米豫選と各部落の應援團、大會場正面(係員と觀衆)、ソリ引競争(重量二十貫精魂込めて)、“實りの秋”(女子靑年團員の瑞穂踊り)、慰問袋競争(一品も多く戰地の夫や兄弟へ)。
日中戦争の開戦は昭和12年(1037)7月、我が国と米英とは、昭和16年(1941)12月8日の「真珠湾攻撃」により開戦。この絵葉書は町民運動会の様子を伝える絵葉書ですが、ビックリするほど多くの人々が写っています。
開戦後の物価上昇は山間の水窪にも押し寄せていたのも関わらず、この絵葉書を販売し、軍需供出や寄付金を集める目的だったのかも知れません。もちろん、戦地に赴いていた身内に葉書を出し、近況を伝え、激励をする目的もあったのでしょう。
確かなことは分かりませんが、今からわずか80年ほど前の水窪からは、一体何名の若者が招集され、何名が再び水窪の地を踏めたのでしょうか?
絵葉書の写真に、あなたの知っている人が写ってはいませんか?
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:50│Comments(0)
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