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2021年05月06日

北遠に見る釈迢空の歌碑②―春野中学校の校庭

 「気多川の さやけきみれは をち方の かしかの聲は しつけかりけり」の歌碑 平成20年(2008)、学生時代の仲間との楽しい時間を過ごすために、能登の和倉温泉に出かけました。

 その能登半島の付け根の石川県羽咋(はくい)市には、能登一宮として創建2100年になる有名な「気多大神宮=気多大社」が鎮座しています。気多大社は大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀るお社。気多大社の境内には、柳田國男と並ぶ日本民俗学の先駆者で、歌人・釈迢空(しゃくちょうくう)としても知られる折口信夫(おりくちしのぶ)(1887~1953)父子の墓があることも知られています。

 折口信夫と「気多」、「気多」と釈迢空―春野町気田の春野中学校の校庭には、折口信夫の歌碑が建っていました。

能登の夕焼け 「気多川の さやけきみれは(ば) をち方の かし(じ)かの聲は しつ(づ)けかりけり」

 折口信夫は、大正9年(1920)、水窪の「西浦田楽」や春野の「京丸」を研究するため、北遠の山里を訪れています。「気田」は「気多」と表記されたこともあり、昭和32年に春野町と合併するまでの間は「気多村」と表記されています。

 折口が春野を訪れた時、この「気多」ゆかりの地名に心を動かしただろうとは、想像に難くありません。

 *コロナ自粛の昨今、ブログ記事の取材もままならない日々が続いています。記事は、私が書いていたNPO「天竜川・杣人の会」のブログ「出かけよう!北遠へ ふるさと散歩道」に掲載したもの。同ブログは終了しましたが、過去記事を再掲載させていただきました。




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