2019年04月25日

大千瀬川「錦橋」の歴史②―私財を投じて

「(北遠浦川風景) 大千瀬川 錦橋」 明治36年(1903年)当時の大千瀬川には橋がなく、川合・島中・小田敷方面との往来には、渡船が利用されていました。渡船は川の水量が少しでも増すと、渡船場は閉ざされて利用できなくなるのが実情でした。

 この状況を見かねた(当時)小田敷区在住の四門錦(よつかどきん)さんは奮起し、実に2,480余円の私財を投じてこの地に橋を架けたのです。

「壹銭五厘」の切手 磐田市見付の佐口行正さんから借りた古い絵葉書は「(北遠浦川風景) 大千瀬川 錦橋」と右から左へと書かれています。実は、この絵葉書は使用済みのもの。東京の本郷から「静岡縣磐田郡浦川村」に宛てて出されたもの。当然、「壹銭五厘」の切手には郵便局の消印が押されています。その日付は「10.7.20」。大正?昭和?

 この切手は、大正2年(1913)~昭和12年(1937)に発行されています。となれば、「10.7.20」とは「昭和10年7月20日」と「大正10年7月20日」の2つの可能性が・・・。内容は浦川で食べた川魚や鮎の味や、風景を懐かしむ「暑中見舞」です。

 絵葉書は、初代「錦橋」の写真。昭和10年ですから、「錦橋」の少し南には、三信鉄道の第2大千瀬川橋梁が架けられていたはずです。



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