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2018年11月22日

鳳来山東照宮を訪ねる⑤―「濱松城主」「掛川城主」の文字

石燈籠に刻まれた「寛文十三年癸丑正月十七日 遠州濱松城主 従五位下攝津守源姓太田氏資次」の文字 東照宮境内に残る石燈籠と石鳥居に「濱松城主」と「掛川城主」の文字が刻まれているのに気づきました。

鳥居に刻まれた「備中守源朝臣太田資愛〇加修治 干時遠江國掛川城主」の文字 「寛文十三年癸丑正月十七日 遠州濱松城主 従五位下攝津守源姓太田氏資次」の文字が読み取れたのは、拝殿前の石燈籠。太田資次(すけつぐ:1630‐1684)は第9代浜松城主。東照宮の創祀を計画したのは3代将軍家光でしたが、跡を継いだ4代将軍家綱の命により、竣成したのが太田資次だったのです。

 そして、鳥居に刻まれた「備中守源朝臣太田資愛〇加修治 干時遠江國掛川城主」の文字。「備中守」はあくまでも官位。鳥居には複数の名前が見られましたが、この鳥居を奉納した時には、太田資愛(すけよし:1739‐1805)は掛川藩主(城主)だったのです。




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