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2018年05月27日

栄えた港町 魅力発見 掛塚(磐田市)

栄えた港町 魅力発見 掛塚(磐田市) 天竜川河口の東側に広がる古い街並み。かつては遠州一円の舟運の荷を集め、江戸や大阪に運ぶ商業港として栄え、「遠州の小江戸」と呼ばれていた。現在も豪商として知られた回船問屋「津倉家」や重厚な石蔵、洋風造りの旧掛塚郵便局などの旧跡が残り、当時の面影をしのばせている。

 「多くの問屋や料亭、遊郭が軒を連ね、大勢の商人が行き交ったそうです。それはにぎわっていましたよ」と地元の歴史に詳しい名倉愼一郎さん(69)。

 地名の由来は、掛塚の「塚」が天竜川河口の「砂丘(すか)」になまり転じ、砂丘が欠けてできた土地とされる。

 江戸時代には、天竜川上流域の木材や東海地方の米の集積地となり、幕府の御用材や年貢米を回送する港として栄えた。明治時代になると繁栄のピークを迎え、40軒ほどの問屋が50隻以上の大型船を所有し、東西の物流拠点として財をなした。

旧掛塚郵便局舎の前で掛塚の魅力をPRする「みんなと倶楽部 掛塚」の会員 当時のにぎわいを物語るのは、航海の安全や五穀豊穣を願う貴船神社の祭典だ。問屋や商店の財力を背景に、絢爛豪華な祭り屋台が各町ごとに建造され、華やかさを競った。祭り屋台は現在も10月の例祭で引き回され、大勢の見物客でにぎわう。

 明治後期になると、現在のJR東海道線お開通により物流の主体は陸運へと変わり、海運拠点としての役割を終えた。

 かつての活気を取り戻そうと2016年4月、地元の有志が中心となって「みんなと倶楽部 掛塚」(池田藤平会長)を発足させた。40~80代の会員23人が、年4回の会報の発行や旧蹟の清掃、勉強会などで積極的に活動している。事務局の名倉さんは「力まず活動し、まずは地元住民から掛塚の魅力を再発見するきっかけを提案していきたい」と意気込む。

 6月9日には、掛塚の歴史や文化をPRするイベント「いじゃまい かけつか」を初開催する。旧蹟お案内や市内出身の講談師を招いた寄席などで地元住民や観光客をもてなす。問い合わせは、名倉さん=電090(7679)4769=へ。(5月26日「中日新聞」夕刊「この地に名あり」より)

掛塚寄席

 「中日新聞」夕刊の1面に「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」の紹介が掲載されました。「いじゃまいけつか」の開催日も近づきました。みんな元気で盛り上がりましょう!

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Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 20:05│Comments(0)みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚
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