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2024年01月15日

旧金指街道を歩く③―「貳里廿町 麁玉郡宮口村」

「貳里廿町」の里程石 そこで、たまたま出会ったのは、「貳里十九町」の里程石が建てられている岩山の地主さん。「少し先に、もう1つあるよ」と里程石の場所を教えてくれました。風化と苔のせいで、はっきりと刻まれている文字が読めませんでしたが、「貳里廿町」のようです。

 「貳里十九町」の里程石から100メートルも離れてはいませんでしたが、「もう少し先にあったのを、道路工事の関係で、ここに移動した」と話してくれましたので、多分「貳里廿町」で間違いないと思います。

 左側には「□□講」の文字が刻まれ、その横には「宮口村」の文字も。現在、「宮口」と言えば、浜松市浜北区に属していますが、ここは北区細江町三和石岡。かつてはここまで「宮口村」だったのでしょうか?その上の文字は「麁玉郡」かも知れません。今は、どちらも浜名区に変わりましたが・・・



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この記事へのコメント
よく読ませていただいています。一日も欠けることなくつづけられていることに感服します。以前に半僧坊道を調べたとき、私も見ました。別の資料で元は南のゼネラル工場のすぐ北の交差点にあって、「貮里十七丁」と記録がありました。「はままつへ三里半、秋葉道宮口へ(貮里)」ともあり、「宮口村明壽講」の人たちが建立したようですね。
十九丁のものも移動されて、順序はばらばらになったようで歩く者にとってやや残念だなと感じます。
Posted by 太田隆雄 at 2024年01月16日 21:21
どこを歩こうかといつも考えています。当たり前ですが、車で通り抜けるのと、歩くのとでは、目に留まるものが全然違います。
では、これは「貮里十七丁」。訂正させていただきます。
ありがとうございました。
Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さんみんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 2024年01月16日 21:31
貮里十七丁の十七丁の記録も、位置的に正しいかは不明ですので、あしからず。分かったことがありましたら、お教えください。
Posted by 太田より追加 at 2024年01月16日 21:38
貮里十九丁の石は正しく、宮口村明壽講が建てた方の石の貮里十七丁の記録が正しいかが不明です。何回もすみません。
Posted by 太田より再追加 at 2024年01月16日 21:50
「十九丁」の先にあったとのことでしたので、「廿丁」が正しいのかも知れません。風化が激しく、判別が困難。「宮口村」の文字は読み取れましたので、「十九丁」よりも遠い距離にあったのは間違いないでしょうね?
Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さんみんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 2024年01月17日 05:54
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