2018年05月29日
お手引き坂を歩いて行者山へ登る⑤―石段、石積み、やがて行者山
お手引き坂中盤の鞍部を過ぎると、そこから先は右へ左へとジグザグの坂道。ところどころに、人の手によって並べられたと思われる石段が現れます。道幅は少し広くなり、大きなカーブを切った辺りの道の脇には石積みも見られ、やがて行者山の小ピークが見えて来ました。
ここまで来れば一安心。昔この坂を歩いて登った人たちも、同じ気持ちを味わったことでしょう。行者山の辺りは別名「行者峠」とも呼ばれていたそうですが、この坂を登り切った先も下り坂にはなりませんので、「片峠」と言うべきでしょうか?
現在、お手引き坂入口に当たる長養寺の観音堂にある双体道祖神が、その昔あったのは「是ヨリ秋葉山三里半」のこの辺りのはず。「天保十四卯九月立」と言えば、西暦1843年。時代は幕末に差し掛かった頃の建立です。
「兄妹地蔵」とも呼ばれるこの道祖神がここに建てられたのは、船明への厄災の侵入を遮るとともに、秋葉山へと向かう旅人の安全を願ってのことだったのでしょうか?
ここまで来れば一安心。昔この坂を歩いて登った人たちも、同じ気持ちを味わったことでしょう。行者山の辺りは別名「行者峠」とも呼ばれていたそうですが、この坂を登り切った先も下り坂にはなりませんので、「片峠」と言うべきでしょうか?
現在、お手引き坂入口に当たる長養寺の観音堂にある双体道祖神が、その昔あったのは「是ヨリ秋葉山三里半」のこの辺りのはず。「天保十四卯九月立」と言えば、西暦1843年。時代は幕末に差し掛かった頃の建立です。
「兄妹地蔵」とも呼ばれるこの道祖神がここに建てられたのは、船明への厄災の侵入を遮るとともに、秋葉山へと向かう旅人の安全を願ってのことだったのでしょうか?