2018年04月01日
佐久間ダムまつり「竜神春の舞」⑧―日朝の平和を願った「記念碑」
第二次世界大戦で多くの若い労働力を失ったわが国の戦後復興の一時期には、朝鮮人労働者は欠かせない存在でした。佐久間ダム工事も例外ではありません。着工は昭和28年(1953)、完成は昭和31年(1956)。着工からわずか3年でのスピード工事を支えたのも、大型機械の導入と彼らの存在でした。
朝鮮戦争が勃発したのは、昭和25年(1950)。朝鮮人民共和国が誕生し、朝鮮人の帰還事業が始まったのが昭和34年(1959)。「記念碑」はまさにその1959年に建てられたものです。
「記念 朝・日両国民の恒久平和と友好親善の為 佐久間地区朝鮮人帰国者集団 西暦一九五九年十月二十八日建之」
これが「記念碑」に刻まれた文字。ダム工事が終った後にも、佐久間の小学校にも、朝鮮人の子どもたちが通っていたとも言います。帰国の時には、涙を流して別れを惜しんだとも聞きます。あの時の涙を忘れたまま、両国の「恒久平和と友好親善」は、半世紀以上が過ぎた今でも実現できないままです。
まさか、彼らの国のミサイルが、日本を狙っているなどとは信じたくありません。1954年と言えば、私も小学生でした。おそらく、私もあなたたちとほぼ同世代のはず。教えてください!ダム工事に汗を流した、お父さまは元気ですか?お母さまは元気ですか?そして、佐久間で子ども時代を過ごしたあなたたちも、今、かの国で元気に暮しているのでしょうか?
いつか再び、あなたたちと手を携えて、この「記念碑」の前に笑顔で立てることを願っています。