2018年04月17日
浦川・五社神社を訪ねる⑤―力石
佐久間町浦川在住の伊東明書さんから届いた「かしの木塾」No.209(平成26年1月)によれば・・・
万華鏡――五社神社の力石
1.楕円形の力石
五社神社の境内(旧社殿跡)に太い楕円形の石が建つ。(地表の高さ約25㎝、地中の深さ不明) 酒井正三氏(明治39年生・平成13年歿)は「五社神社の境内に丸い石がある。南宮神社があった浮森から運んだ」と伝えた。江戸時代に、村びとたちが南宮神社の境内で力を競った力石のようだ。(平成12年聴取)
3.五社神社の創立と力石の移転
明治13年、南宮神社の合祀で、氏神が集落を離れた。だが、稲荷様を日名地家が祀り、金毘羅様を船頭衆が崇め、大正元年の町内大火で秋葉様を迎えていた。
禰宜井辺元文氏の「五社神社明細書」によると、「日名地家が稲荷社を祀り来りしを、当地の発展につれて当区の祀神として区民の奉祀する処となり、その後区民の発意に依り、大正4年境内を拡張して社殿を改築し、他の四社を合祀して、五社神社と改称」した。集落に氏神が蘇ったのだ。
浮森の南宮神社の力石を五社神社に遷した時期を伝える古文書はない。大正年間に五社神社が創設されたときに力石を浮森から遷したとする説や、昭和元年に浦川尋常高等小学校の裏山が崩され、校庭に拡張されたころに力石を遷したという説がある。
・・・とのこと。力石とは、俵を担ぐなどの力仕事が求められた農村の青年の力試し、力競べをするために使われた石です。