2018年01月26日
平口・不動寺を訪ねる②―乃木希典書「瀑布山」と山縣有朋書「赤心報國」
浜北区平口・不動山の山号は「瀑布山」。唐破風の本堂に掲げられた「瀑布山」の山号額を書いたのは「陸軍大将乃木希典書」。乃木は日露戦争では第三軍司令官として旅順攻撃を指揮し、明治37年(1904)6月6日に陸軍大将へと昇進しましたので、扁額の揮毫はそれ以降です。
本堂内には「陸軍大将山縣有朋」の書いた「赤心報國」の扁額も掲げられています。山縣の陸軍大将昇進は、明治23年(1890)6月7日。「赤心報國」の文字は、駿州赤心隊と遠州報国隊とに通じる心を表したものです。
乃木と山縣は、ともに元・長州藩士。寺の案内によれば、乃木は不動寺参拝に訪れていたようですが、山縣については書かれていません。しかし、この2人の浅からざる関係が、「瀑布山」と「赤心報國」の扁額の揮毫に繋がっているのかも知れません。
本堂内には「陸軍大将山縣有朋」の書いた「赤心報國」の扁額も掲げられています。山縣の陸軍大将昇進は、明治23年(1890)6月7日。「赤心報國」の文字は、駿州赤心隊と遠州報国隊とに通じる心を表したものです。
乃木と山縣は、ともに元・長州藩士。寺の案内によれば、乃木は不動寺参拝に訪れていたようですが、山縣については書かれていません。しかし、この2人の浅からざる関係が、「瀑布山」と「赤心報國」の扁額の揮毫に繋がっているのかも知れません。