2017年06月22日
光明山遺跡に残るブラジル移民の歴史③―「ブラジル移民の父 平野運平氏」胸像

「ブラジル移民の父 平野運平氏」の胸像が建てられているのは、センターの玄関前。「ブラジル移民の父 平野運平氏」と題された顕彰のプレートには、次のようき書かれています。
ブラジルの大地にて日本人移民に誇りと希望を与えた平野運平氏をたたえる
1886年 掛川市初馬(旧粟本村初馬)にて出生(旧姓榛葉運平)
1908年 通訳としてブラジルに渡り、日本人移民の自立のために、渾身、力をつくす。
1915年 サンパウロ州カフェランジャの未開の地に日本人による初の移民地を創設、入植する。
1919年 入植者と共に幾多の苦難を重ね志半ばにて死去(享年34歳)

ブラジル日系人、ブラジル社会から尊敬の念厚く、移民の父と称せられる。
2008年6月18日笠戸丸サントス入港から100年を記念して
報徳運動を育てる会、東京在住掛川市出身の篤志家、ブラジル静岡県人会の御寄附などにより胸像ができたことを心から感謝いたします。 平野運平氏顕彰会・掛川市
ここに書かれている「植民」とか「植民地」とは、日本人移民者による「入植」とか「入植地」の意味。胸像のそばには、寄り添うようにブラジルの国花「キバナイペー」が植えられています。
昨今、日系ブラジル人の姿を多く見かけるようになった背景には、ブラジルが日本人移民者を受け入れてくれた歴史があることを忘れてはいけません。