2024年01月17日
旧金指街道を歩く⑤―八幡神社
「貳里十九町」の里程石が建てられていた岩山の中段には、別の石柱も建てられていました。上がって確認することはしませんでしたが、地主さんによれば「以前、この上に八幡神社の里宮があった」とのこと。だったら、行ってみるしかありません。
「村社八幡神社」の社号標が建てられていたのは、石岡の北側に盛り上がる岩山の前。石岡の位置は、平野部の真ん中を都田川が流れる「中川」の北岸に当り、ここから北が引佐町の山地となっています。
社殿の向かって右奥に並ぶ境内社の中に、「秋葉山」の文字が刻まれた石燈籠があり、裏側には「文化十二乙亥十一月吉日」とありましたので、西暦1815年の建立。現在の浜松市浜名区細江町三和に含まれている石岡が、「石岡村」だったのは、江戸時代から明治9年(1876)までの間。
そして、「村社」などの旧社格が制度化されていたのは、明治維新(1861)から第二次世界大戦後(1945)までの間でした。
「村社八幡神社」の社号標が建てられていたのは、石岡の北側に盛り上がる岩山の前。石岡の位置は、平野部の真ん中を都田川が流れる「中川」の北岸に当り、ここから北が引佐町の山地となっています。
社殿の向かって右奥に並ぶ境内社の中に、「秋葉山」の文字が刻まれた石燈籠があり、裏側には「文化十二乙亥十一月吉日」とありましたので、西暦1815年の建立。現在の浜松市浜名区細江町三和に含まれている石岡が、「石岡村」だったのは、江戸時代から明治9年(1876)までの間。
そして、「村社」などの旧社格が制度化されていたのは、明治維新(1861)から第二次世界大戦後(1945)までの間でした。