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2020年05月12日

2011年8月14日 、「祇園祭」が伝えられる地、島を訪ねる①―牛頭天王社

牛頭天王 熊野三社 毎年6月14~15に催される「島の祇園祭」の地、佐久間町島(しま)を訪れました。国道152号を水窪に向かって進み、相月トンネルの手前で右折し、旧道へと入ります。

 もちろん、初めての訪問ではないのですが、「祇園祭」の水垢離が行われる川原に立つのが今回の目的。先ずは、祭事が執り行われる相月熊野神社の長い石段を登ることにします。中段に立つ鳥居を潜れば、そこが「神楽の舞」が奉納される神社です。

 神社の正面には「牛頭天王 熊野三社」の看板が掲げられ、「牛頭天王社は京都祇園の八坂神社が本宮であります」との解説が書かれています。「島の祇園祭」の縁起はこれ。「応安三年西暦一三七〇年正月 一位大納言三條忠業 遠江國島村を祇園社領に申請する。」とあります。

三井家で舞われた「神楽の舞」 そう言われてみれば、神社の鳥居は天王社に見られる赤鳥居。「熊野神社」と言うよりも、「牛頭天王社」と呼んだ方が良さそうです。

 「応安」の元号は、天皇家が南北に分裂していた南北朝地代に「北朝」側で使用されたもの。「応安3年」は、北遠にゆかりの深い「南朝」側では「建徳元年」に当ります。

 「神楽の舞」は、獅子頭をかぶって舞う「獅子神楽」。北遠の他地域と同様に女物の着物をまとって舞う写真は、「くれさん」から提供していただいたもの。2008年に三井家で撮影された写真です。

 *記事は、私が書いていたNPO「天竜川・杣人の会」のブログ「出かけよう!北遠へ ふるさと散歩道」に掲載したもの。「祇園祭」は疫病退散を願う祭事ですので、過去記事を再掲載させていただきました。




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