2020年05月23日
佐久間の小学校の歴史③―旧「佐久間小」跡の校門

明治7年2月 佐久間小学校、佐久間小学校中部分校・半場分校・羽ヶ庄分校として開校。
昭和32年4月 旧佐久間小学校、旧中部小学校、旧半場小学校を統合、新佐久間小学校として開校する。現在地に校舎の新築を決定し、旧 校舎にて分散教育を行う。12月末第1期工事が完成し、一部児童 が入校する。
昭和33年 第2期工事が完成し、全児童入校。講堂新築。
・・・と記されています。
「明治7年(1874)」から、一気に跳んで、次の行には「佐久間ダム」が完成した昭和31年(1956)の翌年「昭和32年(1957)。この間の沿革が不明ですが、同33年(1958)、「佐久間小学校」は移転・新築をした、ということでしょうか?
すぐ近くの「佐久間神社」には、「佐久間ダム」湖に沈んだ「山室(やんむろ)」地区に伝わっていたお面が奉納されていると聞きました。この時期に、引越しして来た住民もいらっしゃったことでしょう。児童数に増加が、移転のきっかけになったのでしょうか?
「佐久間商工会」の建物の横、この古い校門が立つ場所が旧「佐久間小学校」跡。現在の「佐久間小学校」は、飯田線沿いですが、かつてはこの高台の地に学び舎を構えていたということです。
*記事は、私が書いていたNPO「天竜川・杣人の会」のブログ「出かけよう!北遠へ ふるさと散歩道」に掲載したもの。同ブログは終了しましたので、過去記事を再掲載させていただきました。