2019年06月14日
カルスト地形の竜ヶ石山を歩く⑪―炭焼窯跡
まだ、花は咲き始めたばかりでしたが、「あじさい林道」を歩いて「白橿(しらかし)の棚田」へ。途中「炭焼釜跡→」の看板を見つけましたでの、少しだけ山の斜面を登ってみました。
「炭焼釜跡」には「1950年代のものです」の看板が建てられ、円形の釜枠と焚口跡の石積みが残っています。木炭や焚き木(薪)は、かつての主要な家庭燃料。燃料がなければ、飯も焚けなければ風呂も沸かせません。
「炭焼釜跡」には「1950年代のものです」の看板が建てられ、円形の釜枠と焚口跡の石積みが残っています。木炭や焚き木(薪)は、かつての主要な家庭燃料。燃料がなければ、飯も焚けなければ風呂も沸かせません。
ガスや電気の利用が進み、炭や焚き木は歴史の彼方へと追いやられてしまいましたが、わずかに残る「炭焼釜跡」はそんな時代の遺跡。現在、斜面を埋め尽くしているのはほとんどが植林された杉の木になってしまいましたが、かつての竜ヶ石山には広葉樹林が広がっていたものと思われます。