2018年08月16日
富山村・熊野神社を訪ねる⑤―諏訪神社
富山村指定文化財 諏訪神社社殿
諏訪神社は、かつて富山村字大久保地内に鎮座する河内地区の神社であったが、昭和三十年佐久間ダム建設により社地が水没することとなったため、当熊野神社に合祀され、その社殿も現在地に移築したものである。
諏訪神社(祭神・建御名方命)の創建は明らかでないが、鎌倉時代より足利末期まで長野県諏訪大社の御狩神事に使われていた薙鎌を天龍川より拾い上げ、御神体として祀ったのが始まりと言れる。 富山村教育委員会
諏訪信仰が天竜川流域に伝播したのは、「塩の道」「秋葉道」と呼ばれる街道とともに、天竜川の水運交易が盛んだったことが大きな理由。諏訪に源を発した天竜川の流れは、遠州掛塚で太平洋に注ぎます。
諏訪神社は、かつて富山村字大久保地内に鎮座する河内地区の神社であったが、昭和三十年佐久間ダム建設により社地が水没することとなったため、当熊野神社に合祀され、その社殿も現在地に移築したものである。
諏訪神社(祭神・建御名方命)の創建は明らかでないが、鎌倉時代より足利末期まで長野県諏訪大社の御狩神事に使われていた薙鎌を天龍川より拾い上げ、御神体として祀ったのが始まりと言れる。 富山村教育委員会
諏訪信仰が天竜川流域に伝播したのは、「塩の道」「秋葉道」と呼ばれる街道とともに、天竜川の水運交易が盛んだったことが大きな理由。諏訪に源を発した天竜川の流れは、遠州掛塚で太平洋に注ぎます。
修験者が歩いて伝えた熊野信仰に対して、筏や船で下った諏訪信仰。地域は限定されるかも知れませんが、その伝播は熊野信仰をしのぐ速さだったと想像されます。