2018年04月05日

「昭和の町」二俣を歩く⑬―毘沙門橋

毘沙門橋 二俣の毘沙門堂近くの阿蔵川に架かる毘沙門橋―レトロな親柱には「昭和二年十月竣功」の文字が刻まれています。

 昭和2年(1927)と言えば、現在の鹿島橋が竣工した同12年(1937)よりも前。当時流行した小石とセメントを雑ぜて洗い出し、自然石の風合いを出す工法で仕上げられています。

 すぐ近くには、昭和5年(1930)からの短い間、光明電気鉄道の電車が走っていました。国鉄二俣線よりも前に夢を抱いて北へと延びる線路、阿蔵隧道が掘削される工事、栄林寺前に設けられた二俣町駅に下り立つ乗客の足音・・・。

 しかし、昭和11年(1936)には夢破れて営業停止。電車のモーター音も車輪の音も聞こえなくなりました。

 そんな歴史を間近に眺めていたはずの毘沙門橋、その先の矢崎橋の向こうで、阿蔵川は二俣川へと合流しています。

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