› 自然と歴史の中を歩く! › 出かけよう!北遠へ › ウォーキング・ぶらり旅・町歩き › 民話・言い伝え › 梅雨の晴れ間の大渓林道⑦―大渓湯沢の石仏

2017年07月03日

梅雨の晴れ間の大渓林道⑦―大渓湯沢の石仏

大渓湯沢の石仏 むかしむかし、光明の里、大渓(おおたに)村に、百姓の夫婦が住んでいた。
 二人には、かわいい娘があり、貧しいけれども親子三人、幸せなくらしであった。

 ところが長雨の明けたある日のこと、
「どれ、今日はひとつ、薪拾いにでも行ってくるか。」
と、山へ出かけて行った父が、なかなか帰ってこない。
 母と娘が心配しているところへ、父は足腰を痛めて、はうようにして帰って来た。
「父さんどうしたの。」
 娘が驚いてかけ寄ると、
「山くずれがあってのう。足腰をやられちまった。生きて帰れたのが、不思議なくらいじゃ。」
 父は恐ろしそうに、そう言った。
 父はそれっきり、起き上がれなくなった。

 娘はそれから毎日、大渓の薬師さまへ出かけて、
「どうか薬師さま、父さんの足腰を治して下さい。」
と、お祈りするようになった。

大渓湯沢の石仏 それからしばらくした、ある日のこと、一人の旅僧が娘の家を訪れ、軒先に立って、静かに読経を始めた。
 娘は、
「何もありませんが、こんなものでもよかったら・・・・・・。」
と、大豆一合を、袋に入れて差し出した。
 すると旅僧は、
「いやいや、そんな心配はせぬように・・・・・・。それよりも、お娘ご、お宅には、ご病人がおいでかな。」
「はい。」
「そうであろうのう。それではな、お娘ご。ここより少し東南の山の中に、ありがたい霊水が湧き出ているところがある。その水を汲んで湯を立て、病人を入れてあげなされ。病はきっと治りますぞ。これは、さるみ仏のお告げじゃ。」「はい。ありがとうございます。」
 娘は喜んで、母と一緒に、東南の山の中をさがして霊水を見つけ、桶に汲んで家へ帰った。
 母娘は、その霊水で湯を立て、父を湯に入れた。
 何日か続けているうちに、父の足腰は、ほんとうに治っていった。
 そして三十七日目、ついに父は、もと通り歩けるようになったのである。
「これはきっと、大渓の森の薬師さまのおかげにちがいない。」

 娘は大喜びで、父母と一緒に、霊泉のかたわらに、薬師如来の石仏をたてておまつりした。
 これが今に伝わる『大渓湯沢の石仏』のおこりであるという。
 時に文化十二年(一八一五)のことであった。(「ふるさとものがたり天竜・第3章光明地区」より)

   ◆       ◆       ◆       ◆

大渓の沢 写真が、「薬師如来の石仏」です。大変小さな石仏ですが、確かに「文化十二亥年」と刻まれていました。

 霊水が湧いていたという霊泉ですが、大渓の山にはたくさんの沢水が流れ、どれがそれであるかは分かりません。しかし、きっとどこかに鉱泉が湧いていたということ。誰か知っている人はいませんか?

 【関連記事】梅雨の晴れ間の大渓林道①―バイカアマチャ


同じカテゴリー(出かけよう!北遠へ)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
梅雨の晴れ間の大渓林道⑦―大渓湯沢の石仏
    コメント(0)