秋葉街道「大野宿」を歩く⑱―「めいちはし」
旧「別所街道」を南へ進み、宇連川の支流、真立川に架かる明治橋が大野の南端。橋を渡った先に、かつての橋の親柱が残されていました。「大正十一年三月架設」とされていましたので、「大正十三年拾一月架設」の旧大野橋よりも古く、大正13年は西暦1922年ですから、昨年3月がちょうど100周年。
古い橋の名前は、昔も今も「明治橋」。しかし、別の親柱には平仮名で「めいじばし」ではなく「めいちはし」と刻まれています。これは、川の濁りを嫌い、橋の名前を平仮名で表記する場合には濁点を使わずに表記する慣習があったから。
大正時代に架けられた橋の名が「明治橋」だったのは、その前の橋が明治時代に架けられたからだろうと思います。だとすれば、この古い親柱は2代目で、現在の橋が3代目となります。
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