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2023年01月23日

旧豊田郡敷地村に佇む道標③―「右 虫生 百古里 光明山 秋葉山道」

大平の道標 そもそも、旧敷地村とは、明治22年(1889)に家田村、大当所村、敷地村、岩室村、大平村、虫生村、万瀬村が合併し、先ずは豊田郡敷地村として発足。その後、同29年(1896)に磐田郡敷地村を経て、昭和30年(1955)に、同じ経過を辿っていた広瀬村・野部村と合併して豊岡村となり、敷地村は廃止され、平成17年(2005)に磐田市と合併し、現在に至っています。

 敷地川に沿った県道283号を北上し、大平(おいだいら)の分岐点に建てられている道標に刻まれている文字は「右 虫生 百古里 光明山 秋葉山道」「左 里道」。つまり、虫生(むしゅう)、百古里(すがり)を経て、光明山、秋葉山に行くには右の道を行け、と教え、分岐から左に延びる道は「敷地外四ヶ字財産区」が共同で管理する「里道」。公共の道路ではなかったということです。

大平の道標 道標の向かって右には「御大典記念」、左には「昭和三年十一月建之 敷地村大平青年團」の文字が。昭和3年(1928)11月に執り行われた昭和天皇の即位礼を記念して建てられたものでした。




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