2020年05月08日
2011年6月25日、熊伏の山歩き⑤―足元に転がる花崗岩

峠から少し登ると右側に展望が開け、「青崩」の由来となった崩壊地が見下ろせます。さらに目を上にやれば遠山の谷が一望でき、V字谷であることが確認できます。
中央構造線の北側は、領家変成帯(内帯)と呼ばれています。この「領家」とは水窪の「奥領家」の地名を取って名付けられたもの。三波川変成帯(外帯)の緑色片岩や蛇紋岩を見慣れた私たちにとっては、白っぽい石が多い熊伏山の登山道はちょっと変わって見えます。

石ころだけでは面白くありませんので、登山道から水窪方面を見た写真も紹介します。写っているのは、「瑟平(しっぺい)太郎の墓」や「木地屋の墓」がある辰之戸(たつんど)辺りだと思います。
*記事は「出かけよう!北遠へ ふるさと散歩道」に掲載したもの。ステイホームのため、過去記事を再掲載させていただきました。