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2018年07月25日

袋井・法多山を訪ねて⑤―葵のご紋の干支恵方盤と「歩兵第十八聯隊出軍之圖」

北谷寺 本堂隣接の北谷寺(きただにじ)は、安政4年(1857)建立の旧本堂だったお堂。天井を見上げると、「法多山厄除正觀卋音菩薩尊永寺廿六卋大谷義延純教師代奉納」の文字が入った「干支恵方盤」が。「明治三十六年六月吉日」に奉納されています。

干支恵方盤 中央に描かれているのは徳川家の「三つ葉葵紋」。法多山の「厄除け団子」は、安政元年(1854)、徳川家への献上品として考案されたのが始まりとか。明治36年(1903)に奉納されたものに「三つ葉葵紋」が描かれている理由は未調査ですが、時代は江戸から明治に変わったとは言え、徳川家と尊永寺との間には、深い関わりがあったのかも知れません。

 奉納額の1枚は「歩兵第十八聯隊出軍之圖」で、「發起惣代」の住所は「静岡縣山名郡笠西村」「仝縣仝郡上浅羽村」「仝縣仝郡久努村」。

「歩兵第十八聯隊出軍之圖」 浜松市浜北区平口の不動寺に奉納されていた「豊橋衛戍行軍之眞景」の額とほぼ同じ構図で、旭日旗を掲げ、木橋の上を隊列を組んで渡る軍人たちが描かれています。奉納されたの時季も「明治二十四年九月日」と同じ。

 歩兵第18連隊は、名古屋に設置された第3師団のうち歩兵第5旅団に属した連隊です。奉納されたのは「明治二十四年九月上旬」。旭日旗を掲げ、木橋の上を隊列を組んで渡る軍人たちの絵。「衛戍(えいじゅ)」とは駐屯部隊を意味し、「豊橋衛戍」とは、名古屋に設置された第3師団のうち歩兵第5旅団に属した歩兵第18連隊です。

 日清戦争開戦を前に、軍備拡張に邁進した時期の演習の様子を描いたもののようです。



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