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2018年06月20日

梅雨間の光明を求めて⑥―石燈篭に刻まれた「杉屋佐助」の名

「杉屋佐助」の名が刻まれた石燈篭 かつて光明山にあった光明寺は昭和6年(1931)の火災で消失しましたので、光明城跡であることを含め、現在は光明山遺跡と呼ばれています。伽藍が築かれた石積みの上には、壊れた石燈篭などが散乱していますが、北東奥に残された「光明山御寶前」の石燈篭には「尾州 名古屋 杉屋佐助」「尾州 名古屋 杉屋佐兵衛」と刻まれています。

「丙弘化三年 午九月日」の文字 「杉屋佐助」と言えば、伊藤萬蔵や柴山藤蔵と競うように神社仏閣への石造物を寄進したことで知られる名古屋の米商人です。

 「奉献」の年月は「丙弘化三年 午九月日」。弘化3年は西暦1846年ですから、「杉屋佐助」は二代目の佐助。「杉屋佐兵衛」は佐助の息子だったようです。

 現在、山東へ移座した光明寺には、「○藤萬蔵」と刻まれた「登山里程元標」、「尾州キヨス本町 柴山藤蔵」と刻まれた燈籠がありますので、かつての光明寺には、杉屋佐助、伊藤萬蔵、柴山藤蔵の寄進した石造物が揃っていたことになります。




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