2017年03月09日
「尾州キヨス本町 柴山藤蔵」奉納の燈籠
天竜区山東、光明寺石段脇に立つ石燈籠には「文久三亥年三月吉日」と刻まれていますので、西暦1863年に建立されたもの。竿の正面には「五穀成就」と刻まれたこの燈籠を奉納したのは、「尾州キヨス本町 柴山藤蔵」です。
この柴山藤蔵について調べてみると、寛政4年(1792)愛知県清須市に生まれ、明治8年(1875)83歳で没した質屋・油屋を生業としていた人物と分かりました。柴山藤蔵は米屋・酒造業を創業し、その店は現在も清洲桜醸造株式会社として引き継がれているとのこと。
柴山藤蔵が寄進奉納した燈籠などは全国広く残されているようで、光明寺の石燈籠もその中に1つ。もちろん、奉納当時は光明山にあったのですが、昭和6年(1931)の火災により、現在地に再建されたのに伴い移座されたものです。
この柴山藤蔵について調べてみると、寛政4年(1792)愛知県清須市に生まれ、明治8年(1875)83歳で没した質屋・油屋を生業としていた人物と分かりました。柴山藤蔵は米屋・酒造業を創業し、その店は現在も清洲桜醸造株式会社として引き継がれているとのこと。
柴山藤蔵が寄進奉納した燈籠などは全国広く残されているようで、光明寺の石燈籠もその中に1つ。もちろん、奉納当時は光明山にあったのですが、昭和6年(1931)の火災により、現在地に再建されたのに伴い移座されたものです。
それにしても、石に刻まれた江戸時代の「キヨス」の表記では、「清須」と「清洲」の混在の解決にはなりませんでした。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:27│Comments(0)
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