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2018年02月08日

龍川森林軌道について⑤―天竜市史

「天竜市史」 軌道運材

 軌道による運材は運搬能力が大きいが、民間では余り利用されなかった。大正九年(一九二〇)龍川村相津に龍川森林軌道株式会社が設立され、延長六哩(約九、七キロメートル)の軌道を敷設した。第一期は相津と佐久の部落間二キロメートルを、十年後に水舟山林までの二キロメートルを延長し、その後、一軒屋から東谷へ一キロメートル延長した。

森林軌道 軌道運材はトロリー(手押貨車で長さ一、八メートル、巾一、二メートル、車軸間〇、九メートル)に材木を積み人力によって動かす人車鉄道である。積載量は五~六尺〆で四キロメートルの区間を一日二往復した。この軌道によって天竜川岸まで運搬した材木は筏組にして川下げしたが、一部は相津の製材所に搬入された。その後、林道佐久線が完成した昭和三十年(一九五五)頃まで運営された。

 この会社は、資本金二万円で相津、佐久、山中の山林家の出資によって設立され、大石蜂郎が社長となった。また、軌道運材による利益を相津小学校に寄附することを定款に定めて毎年寄附している。(「天竜市史」より)


トンネル跡 「天竜市史」に記載された龍川森林軌道に関する記述。小さな台車に満載された材木を押すのは、何人だったのでしょう?台車を連ねて山を下り、再び引き上げます。きっと、事故も起きたでしょうね?

 100年ほど前に掘り抜かれた龍川森林軌道の小さなンネルは、今でも歩いて抜けることができます。さあ、あなたもその狭さを体感してみてください。



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