秋葉街道「大野宿」を歩く⑬―永明庵跡とカヤの大木
さらに新城市大野をあっちへこっちへと歩き回っていると、東陽小学校の前に出ました。すると校門の奥に「永明庵跡とカヤの大木」の看板が。大きく枝を広げたカヤの大木のそばに建てられた看板によると・・・
永明庵跡とカヤの大木
樹齢数百年かと推定されるカヤの大木は、臨済宗方広寺派の末寺であった永明庵の境内にあった古木である。
永明庵は、明治初年に廃寺となって淵龍寺に合併されたが、眺望のいいこの跡地に、崇高な教育の場にと大野小学校が開設され、このカヤの木は学校の誇り高きシンボルとして親しまれてきた。
その後、新設東陽小学校へと引き継がれ、大野を象徴する三名木の一つとして、過ぎし跡を語りかけている。
「カヤの大木」を眺めた後で、永明庵が併合されたという天徳山淵龍寺へ。「天徳稲荷大明神」の幟が翻る「天徳山淵龍寺」の寺標にも、確かに「臨済宗方廣寺派」と刻まれています。臨済宗方広寺派の大本山は、もちろん浜松市北区引佐町奥山にある奥山方広寺。
調べてみれば、新城市には臨済宗方広寺派の寺がたくさんあることを知り、愛知と静岡と、県の違いがあっても、東三河からたった一山越えた先、遠州地方とのつながりを感じさせられました。
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