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2020年08月27日

「青谷不動の滝」から「小堀谷鍾乳洞」まで歩いて往復②―「青谷」の地名は「碧田」から

青谷の谷 青谷は山と山とに囲まれた狭隘な地。「青谷不動の滝周辺案内」の看板には「青谷の地名は、平安時代には碧田と呼ばれていたものが、青谷となった」と書かれていましたが、私が聞いた話では、青谷の水田は豊岡村(現在の磐田市)から運ばれた土とのこと。

 青谷の谷に田を作ろうとしたのですが、山の土は石灰分の多い土で稲作には適さず、二俣城主の命により、豊岡の人たちが1杯幾らで土を背負って来て、松の木を伐って埋めた上に土を乗せ、棚田のように段々の田んぼを造成したとのこと。

「青谷不動の滝周辺案内」の看板 だとすれば、青谷の水田の歴史は江戸時代前期以降のはず。それ以前に稲作が行われていなかったわけではないのかも知れませんが、今では青々とした雑草が茂る「碧田=青谷」になってしまいました。




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