2020年01月20日

東海道・木原を歩く⑤―束ね稲紋

束ね稲紋 そもそも、社殿にの屋根に見えるのは束ね稲紋であるところを見ても、熊野神社との関係が深いことが想像されます。

 「許禰神社(木原権現社)」の由来を記した看板には「遠江では平治元年(一一五九年)以後、しばしば熊野新宮を造営する費用をまかなうための国に指定されたので、多数の熊野神社が建てられました。袋井市域でも、土橋(つちはし)で熊野権現社、松袋井(まつふくろい)で熊野十二社神社が現在でも祭られていることから、古代末期より和歌山県の熊野山とはたいへん深い関係にあったことがわかっています」と書かれています。

束ね稲紋 束ね稲紋は、秋の収穫に感謝するため神前に供える稲束の図。木原畷の「畷(なわて)」とは、田の畦道の意味ですから、許禰神社の勧進に際しては、五穀豊穣の願いも強く表れているのも確かなようです。



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