2019年06月21日

興津・清見寺を訪ねる②―朝鮮通信使

「私説えんしゅう風土記」のスクラップ かつて「中日ショッパー」に連載された故米田一夫先生の「私説えんしゅう風土記」には、私も深く関わった一人。手元にあるノートには当時の記事が、スクラップとして保存されています。

 その中の25~27話は「朝鮮使節」。使節の宿泊先となった清見寺が写真入りで紹介されていましたので、私が清見寺を訪れてみたいとの思いはこの時からのものです。

 江戸時代、徳川幕府はご存知のように鎖国体制を続けていました。ただ、オランダとの交易と、秀吉以来絶えていた朝鮮との国交を回復することによって、世界情勢や外来文化をわずかに得ていたのです。

 朝鮮の使節団は、幕末に至るまでおよそ二百年間に、前後十二回にわたって来朝しています。いずれも総勢五百人近く、一六二四年家光が征夷大将軍を継いだ祝賀の使いをはじめとして、将軍の代が替わるたび、対馬島主宋氏の案内で江戸に向かい将軍に会見しました。(「私説えんしゅう風土記」より)


清見寺山門 まさに、令和初の国賓として来日したトランプ大統領一行を迎えたのと同じ。朝鮮通信使のためには天竜川には舟橋を架け、近隣の住民には労役や食料の提供が課されましたが、もてなしを通して他国との交流がなされたのは間違いありません。



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