2018年07月19日
二本杉峠の大杉②―伐採の図

明治十年頃、持ち主の事情によって切られたそうです。東の方の木は、木のまわりが二十メートル、西側の木も十九・七メートル、高さは五十メートルもあったそうです。しかも、一番下の枝で、巾一メートル、高さ三・六メートルの板が九枚もとれたということです。そして、その代金は、実に二百円もしたそうです。当時、お米が一俵(六十キログラム)五十銭だといいますからおどろくほどの値だんなのです。
この「二本杉」に関しては、「地面にさした二本の箸が大きく育った」ということになっています。おそらく、杉は自生のものではなく植樹されたもの、という言い伝えではないでしょうか?
この話には、後日談があります。
杉の値段は、ずいぶん高く、当時のお金で200円もしたそうです。当時、お米1俵(60㌔)50銭くらいだと言われていますから、驚くほどの値段になりますね。伐った人は、天竜市(現・浜松市)の人だと言われています。その家には、2本の杉を伐っている様子を描いた掛け軸が、今も残っているそうです。
その絵によりますと、杉の木の回りに大きな足場を作り、上の方から板目に引いて(木挽き)、だんだん下の方に降りて来たことが分かります。切られた杉は、ここから天竜川に運ばれて下り、掛塚から東京へと向かいました。しかし、途中、嵐にあって遠州灘に沈んでしまいました。

写真は、羽ヶ庄(はがしょう)の故細澤忠良氏が撮影した掛け軸の写真。二本杉はあまりに大き過ぎて下からの伐採ができないため、櫓(やぐら)を組んで上から伐った様子が描かれています。(*写真は2枚とも、クリックすると拡大して見ることができます)