2021年08月20日
ねえ?森の話を聞かせて

森の小さな学校からの帰り道は、緑の匂いがいっぱい。木の葉を透かした陽の光が、ユラリユラリ、キラリキラリと輝いています。子供たちがみんな帰った放課後、ランドセルを背負った健ちゃんがたった一人で森の小道を歩いていたときのことです。風の音に混じって、何処からか、ピロピロピピピ・ピンコロピンコロリンと美しい歌声が聞こえてきました。健ちゃんは思わず立ち止まってしまいました。
「あれっ?何の声?」今年の春、病気で入院したお母さんから離れ、森のおばあちゃんの家に引越してきたばかりの健ちゃんでも、スズメやツバメが美しい声でさえずること、コオロギやスズムシがリーンリーンと涼しげに鳴くことは知っていましたが、その歌声は今まで聞いたことのない、もっともっときれいで、澄んだ森の水が流れ出るような美しい声でした。「あれっ?何が鳴いているのかな?」キョロキョロと辺りを見回してみました。
健ちゃんには、何が鳴いているのか分かりません。何処から聞こえてくるのかさえ分かりませんでした。空から降ってくるようでもあり、地面の下から湧いてくるようでもあり。「どうやら、こっちの方から聞こえてくるぞ」そこに立っていたのは、一本のクスノキでした。濃い緑の葉っぱをいっぱい付けて、何十年も何百年もここに立ち続け、太い根っこで世界をがっちりとつかんでいるような神様みたいな木でした。「あっ。この中からだ」。木の幹に耳を当ててみました。「やっぱり、この中だ。フクロウの赤ちゃんでもいるのかな?」健ちゃんは大きな木の胴にぽっかりと開いた穴の中を覗き込んでみました。「おーい。誰かいるのかい?」
ピロピロピピピ・ピンコロピンコロリンという歌声はますます大きく聞こえてきます。じーっと耳を澄まして聞いていると、まるでピアノの音のようでもあり、オルゴールの音のようでもあり。「健ちゃん、健ちゃん」と友だちみたいに呼んでいるようでもあり、「私の話を聞いていかないか?」と誘っているようでもあり。「森の精かな?」以前、お母さんが読んでくれた本に出てきた、小人みたいな森の精のことを思い出しました。
健ちゃんが覗き込んだ暗い穴の中には、フクロウでも森の精でもなく、ホタルみたいにピカピカと光った真っ黒なカブトムシが一匹いました。「えーっ?カブトムシ?」健ちゃんは、カブトムシに向かって「今鳴いていたのは、君かい?」と聞いてみました。カブトムシは自慢の角を振り振り答えました。「もちろん僕だよ。森の歌を聞いていってね」ピロピロピピピ・ピンコロピンコロリン。
「ただいまー」健ちゃんはランドセルを放り出すと、家の裏山の道を駆け出しました。手にはカブトムシをつまんで、ドンドンドンドン駆け上がりました。やっと空が大きく見える頂上まで来ました。健ちゃんは、遠くにこの春まで暮らしていた街が見えるこの裏山が大好きです。「ねえ、カブトムシ君。さっきみたいに、歌ってよ」カブトムシは歌いませんでしたが、「ヒューっ」と深呼吸。「あのね・・・」と、角を振り振り話し始めました。入院中の健ちゃんのお母さんが、健ちゃんと会えるのを楽しみに待っていること、さっき健ちゃんのおばあちゃんが、お母さんに届けようと、健ちゃんの描いたお母さんの絵を大事そうに丸めて足早に病院に向かったことなどを話してくれました。「僕たちは、もう友だちだね」と健ちゃん。「そうだよ。友だちさ」と、カブトムシは答えました。
翌日、健ちゃんは、カブトムシを学校に連れて行き、学校のみんなの前で鳴かせてみせることにしました。
みんなが集まって席につきました。「さあ、音楽会の始まりでーす」健ちゃんは得意満面。でも、カブトムシは角は振っても、鳴いてはくれません。「ねえ、鳴いてよーっ!」
「嘘つき。健ちゃんの嘘つき。カブトムシが鳴くわけないよ」
健ちゃんは、すっかり落ち込んでしまいました。「嘘じゃあないもん。確かに鳴いたんだもん」
「カブトムシ君。みんなの前では、どうして鳴いてくれなかったの?」「ごめん、ごめん。実は鳴いていたのは僕じゃあなかったんだ」「森にはおしゃべり好きは大勢いるけど、誰でも歌えるわけじゃあないんだ」と謝りました。
数日後の帰り道、またあの木のそばを通りかかったとき、この間と同じようにピロピロピピピ・ピンコロピンコロリンという歌声が聞こえてきました。
歌声はますますはっきりと聞こえてきます。「うん。確かに聞こえる」。「ねえ、森の歌を聞いていってね」覗いた穴の中にはコオロギでもスズムシでもなく、偉そうにタクトのように前足を振りかざし、緑の燕尾服を身にまとったカマキリがいました。「えーっ?カマキリ?」健ちゃんはカマキリに向かって「今のは君の歌声かい?」と聞いてみました。カマキリは、待ってましたとばかりに胸を張り「もちろん森の音楽家、私の歌ですよ」と答えました。
その日の晩、健ちゃんは布団に入って、お母さんのことを思い出していました。枕元のカマキリは鳴きませんでしたが、「ヒューっ」と深呼吸。「あのね・・・」と音楽家らしくタクトを振りかざして話し始めました。健ちゃんのお父さんが、今度の日曜日には森の家に来ること、そのとき、少し良くなったお母さんも一緒に来るかも知れないことなどを話してくれました。「えーっ、本当?僕たちは、もう友だちだね」「もちろん。ずっと前から友だちさ」と、カマキリは答えました。健ちゃんは嬉しくて嬉しくて、なかなか眠られませんでした。
翌日、健ちゃんは、カマキリを連れて学校に行きました。みんなが席につきました。「さあ、音楽会の始まりでーす」健ちゃんは今度こそと自信満々。でも、カマキリはタクトは振っても鳴いてはくれません。「ねえ、鳴いてよーっ!」
「嘘つき!健ちゃんの嘘つき。カマキリが鳴くわけないよ」「嘘つき、嘘つき!」「カブトムシだって鳴かないし、カマキリだって鳴くわけないよ」。みんな大騒ぎです。もう取り返しがつきません。
そのとき、幸子先生がニコニコと笑いながら「私は、健ちゃんが嘘つきだとは思いません。健ちゃんが聞いたという歌声を、みんなで聞きに行ってみましょう」と、助け舟を出してくれました。健ちゃんが先頭に立って、あのクスノキの根元まで来ました。すると、何処からともなく、あのピロピロピピピ・ピンコロピンコロリンというきれいな歌声が確かに聞こえてきました。「ほらねっ、嘘つきなんかじゃないよね」
「本当だ。聞こえる、聞こえる」みんな大喜びです。「でも、何の声だろう?」誰も答えることはできませんでした。カマキリは言いました。「ごめんなさい。鳴いたのは、私じゃあありません」。カブトムシも謝りました。「僕でもありませんでした」。
みんな代わる代わる木の幹に耳を押し付けて聞いています。「みなさん、これはね。このクスノキが森の話をしている声ですよ」と幸子先生が教えてくれました。「私も子供の頃、よく聞きに来ました」とニッコリ。「そうなんだ!この神様の木が歌っていたんだ」健ちゃんも、謎が解けてニッコリと笑いました。学校のみんなも、カブトムシもカマキリも顔を見合わせてニッコリと笑いました。
クスノキは生まれ育った頃の森で見たこと、聞いたことを話してくれました。森の虫や動物や子供たちと仲良く遊んだこと。リスもムササビもクスノキの枝で遊んだこと。小鳥たちがたくさんのかわいいかわいいヒナを育てたこと。親鳥の心配をよそに、次から次へと弱々しい羽ばたきで、大空へと巣立っていったこと。
幾時代かが過ぎて、いつの間にか人間の子供たちの笑い声が聞こえなくなったこと、外国の飛行機がいくつもいくつも落とした火の玉のこと、街が真っ赤に燃えたこと、何人もの人が泣きながら死んでいったこと。
やがて、鉄の機械がやってきて、トンネルやダムや車の走る道路ができたこと。そのために木々は切り倒され、谷に捨てられたこと。人間が植えた杉やヒノキが、息苦しさからか、悪い病気に罹ったこと。大風が吹き荒れ、洪水が起こり、森の形がすっかり変わってしまったこと。
それでも、再び子供たちが明るい声で歌い始めて、ほっとしたこと。心の優しい幸子先生や健ちゃんと出会い友だちになったこと。大きく息を吐きながら、ゆっくりゆっくりと聞かせてくれました。ピロピロピピピ・ピンコロピンコロリン。その度に、辺りには涼やかに澄んだ空気が広がり、子供たちも幸子先生も、深く深く息を吸い込みました。
「健ちゃんって、すごい」「このクスノキと友だちなんだ」みんな声をそろえて叫びました。「ねえ?森の話を聞かせて」「もっともっと、森の話を聞かせて」。歌声はますます大きく、夕日に赤々と輝く山々に響きわたりました。
健ちゃんは、神様みたいなクスノキと友だちになったんです。もちろん学校のみんなとも仲のいい友だちです。カブトムシもカマキリも、森のみんなが友だちです。
「お母さん、僕、みんなと友だちになったよ。もう、寂しくなんかないよ」その晩、健ちゃんはお母さんに手紙を書きました。「お母さん、森には大きなクスノキが立っているんだよ。何でも見ていて、何でも知っていて、何でも話してくれる神様の木だから、お母さんの病気もきっと治してくれるよ。お母さん、早く良くなってね。僕、森が大好きだよ」
やがて新しい季節を迎えた頃、健ちゃんは、元気になって迎えに来たお母さんと、街に戻ることになりました。森のみんなが見送ってくれました。お母さんと一緒に神様の木にも「ありがとう」と「サヨナラ」を言いに行きました。クスノキは、ピロピロピピピ・ピンコロピンコロリンといつものきれいな歌声を聞かせて見送ってくれました。「へーっ?お母さんも友だちだったんだ」「そうよ。私も子供の頃、このクスノキの話を何度も聞かせてもらったわ」と、お母さんも目に涙を浮かべながら、懐かしそうに聞いていました。「健ちゃんが生まれてきてくれた時にも、このクスノキに報告しに来たの。この木は何でも知っているのよ」。ピロピロピピピ・ピンコロピンコロリン。
「ねえ?健ちゃん。森の話を聞かせて!」と、健ちゃんの友だちがやってきました。街に戻った健ちゃんは、半年暮らした森の話、神様の木から教えてもらった森の話を、クスノキにしてもらったのと同じようにゆっくりゆっくりと話しました。
街角のケヤキの木、学校や公園に立つドングリの木、秋に葉っぱの色を変える神社のイチョウの木、花や草や小さな鳥や虫たち。健ちゃんには、耳を澄ませば、どこにいても森の話が聞こえてきます。ピロピロピピピ・ピンコロピンコロリン。健ちゃんは、ますます森が好きになりました。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 04:34│Comments(0)
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