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2019年10月05日

中秋の天竜スーパー林道ドライブ⑳―水窪橋の歴史

「水久保高橋」 いきなりですが、水窪で見かけた写真。この木造の太鼓橋は明治時代の「水久保高橋」。実はこれが、現在の「水窪橋」の場所に架けられていた橋。「水久保高橋」と呼ばれた橋の明治時代の姿です。

 以前、「広報はままつ」天竜区版の「TENRYU WARD HISTORY 天竜区ヒストリー」の「教伝様(天竜区水窪町地頭方)」で紹介された歴史逸話によれば・・・

水窪橋 水窪町の国道152号から向市場へ渡る水窪橋(通称:高橋)は、今でこそコンクリートの頑丈な橋ですが、かつては幅1メートルほどの木橋で、大水のたびに流されるので、住民たちは架け替えの費用に困りきっていました。そのころ、この辺りに多くの山林を所有していた教伝様という人が向市場に住んでおり、あるとき村の人たちに「私の所有林を村に寄付するので、今後はこの山の木を使って橋の架け替えをしてください」と言って全国巡礼の旅に出掛けて行きました。それ以降この地では、費用の心配をすることなく、いつでも橋の架け替えができるようになったので、住民たちは深く教伝様を慕い、この碑を立て、現在まで祭っています。

水窪橋から見た水窪の町 木造橋の姿がどんなものであったのかは、想像するだけでしたが、水窪川の水位上昇に備えるため、こんなに高く造られた橋。だから、「高橋」と呼ばれたのですね。

 写真を見れば一目瞭然。橋の袂には、現在も残る山住神社の鳥居が写っています。

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