2019年04月20日
磐田に残る家康の面影④―逆さ三つ葉葵紋
旧中泉陣屋裏門を移築した中泉寺山門を見て気づいたこと。それは、門扉に刻まれた三つ葉葵紋が上下逆さになっていることです。
誰でも知っている三つ葉葵紋は、上に1枚、下に2枚の3枚の葉の組み合わせ。ところが、中泉寺山門の三つ葉葵紋は、上に2枚、下に1枚だったのです。これは、明らかに逆さ。疑って見ると、欅板で作られた門扉が、伊藤家に移築されている表門と比べると、ずいぶん新しい感じがします。
その理由については「徳川家の家紋をそのまま使ったのでは畏れ多いから」ということもあるとは思いますが、江戸時代の門そのままであったとしたら、その説は通りません。
誰でも知っている三つ葉葵紋は、上に1枚、下に2枚の3枚の葉の組み合わせ。ところが、中泉寺山門の三つ葉葵紋は、上に2枚、下に1枚だったのです。これは、明らかに逆さ。疑って見ると、欅板で作られた門扉が、伊藤家に移築されている表門と比べると、ずいぶん新しい感じがします。
その理由については「徳川家の家紋をそのまま使ったのでは畏れ多いから」ということもあるとは思いますが、江戸時代の門そのままであったとしたら、その説は通りません。
考えられるのは「山門の三つ葉葵紋は、移築時の改修によるものではないか」との可能性。三つ葉葵紋の使用は、中泉御殿そばの立地により、特別に許されていたものかも知れません。