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2018年07月08日

立川流の俤を求めて豊川稲荷へ⑤―鳥居の奥にある大本殿

参道の鳥居 豊川稲荷とは、実はれっきとした曹洞宗の妙厳寺(みょうごんじ)。お寺であるにも関わらず大きな2基の石鳥居が立ち、まるで神社のようです。

参道の鳥居 2基の鳥居は、黒船が来航した嘉永6年(1853と生麦事件が起きた文久2年(1862)に建てられたもの。一抱え以上もある花崗岩の柱には、岡崎の石工の名前が刻んでありました。

大本殿 妙厳寺の稲荷、吒枳尼真天(だきにしんてん)は、あくまでも境内の鎮守として祀られていたもの。鳥居は明治4年(1871)の神仏分離令により一旦は撤去されたのですが、「お稲荷さん」として有名になってしまい復旧。現在の大本殿は、昭和5年(1930)に再建されたものです。

大本殿 大本殿の中にある厨子は「諏訪ノ和四郎」作とされ、「屋根の瓦に至るまで朱漆塗りで精巧に彫刻を配し稀に見る巧緻精麗な出来栄え」とされていますが、残念ながら確認することができませんでした。

 いずれにしろ、豊川稲荷とはあくまでも通称。でも、妙厳寺の名は知らなくても、豊川稲荷を知らない人はいませんね?

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